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久喜藩主・長瀞藩主 米津家墓所

種別都指定 史跡
所在区市町村東久留米市
指定年月日平成8年3月18日
所有者宗教法人 米津寺
解説文 圓通山米津寺は、万治2年(1659)米津(よねきつ)出羽守田盛(たもり)を開基とする臨済宗妙心寺派の寺院であり、米津家の菩提寺です。本堂左手奥の墓域には、向かって右から2代田盛、4代政矩(まさのり)、6代政崇(まさたか)、8代政懿(まさよし)の墓標が東向きに並んでいます。墓標の形状は高さ1.9mの笠付六角塔身型です。墓域右手には歴代の正室の供養塔、そして墓前には家臣から奉献された石燈籠が並んでいます。統一した形式であり、都内多摩地域に残る唯一の大名家墓所です。塔身には臨済宗の重要な典籍である「碧巌録(へきがんろく)」からの引用が記されています。
 米津家は三河出身の徳川譜代の家臣で、初代田政(たまさ)は慶長9年(1604)から20年間江戸町奉行を勤め、武蔵・下総・上総に5000石の領地を与えられました。2代田盛は大番頭を経て大阪定番となり、10000石を加増されて大名となりました。3代政武のときに武蔵国久喜(現在の埼玉県)に陣屋を構えて武蔵久喜藩が成立しました。7代通政(みちまさ)は寛政10年(1798)、出羽村山郡長瀞村(現在の山形県東根市)に所領を移されました。『武蔵田園簿』によれば、多摩郡門前村・神山(こうやま)村・前沢村(現在の東久留米市)に米津家の知行地が挙げられており、乙津(おつ)村・上代継(かみよつぎ)村・下代継村(現在のあきる野市)、木榑(おぐれ)村(現在の練馬区)などとともに米津家の領地であったことがわかっています。
 笠付六角塔身型という統一した形式が遺存する唯一の墓所で、近世大名家墓所の葬制を知る上で重要な史跡です。
所在地東久留米市幸町4-2-40 米津寺墓地
アクセス西武池袋線「東久留米」駅(西口)からバス(滝山営業所行)「中央図書館入口」下車徒歩3分
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都指定史跡 久喜藩主・長瀞藩主 米津家墓所

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